「人から雑に扱われるのは、その人の態度や行動に問題があるから」
そんな言葉を、InstagramやXの投稿で見かけたことがある人は多いと思います。
ですが私は、その考え方に強い違和感を覚えてきました。
なぜなら、人を雑に扱う行為そのものが、いじめとよく似た構造を持っていると感じているからです。
雑に扱う側は、自分の言動を問題だと思っていません。
むしろ第三者が「雑に扱われる側にも原因がある」と語ることで、
加害性は見えにくくなり、当事者はさらに追い詰められていきます。
この記事では、
「雑に扱われる側が悪い」という被害者責任論への違和感をもとに、
人を雑に扱う人の本質と、その構造がいじめとどう重なるのかを、
実体験を交えながら整理していきます。
雑に扱う行為は、相手ではなく「扱う側」の問題
人を雑に扱う人には、ある共通点があります。
- 相手を対等な人間として見ていない
- 人間関係を上下で捉えている
- 反論されなさそうな人を無意識に選んでいる
- 自分の不機嫌やストレスを弱そうな相手にぶつける
つまり、雑に扱うという行為そのものが、相手の態度以前に“雑に扱う側の資質・価値観”の問題だと思います。
相手の態度がどうであれ、
人を人として扱えない人は、誰に対してもどこかで雑な態度をとっています。
「はっきり言えば解決する」は実際には通用しない
よくあるアドバイスに、
「嫌ならはっきり言えばいい」「自己主張をすればよい」というものがあります。
私自身も、過去にそれを試したことがあります。
ですが結果は――
- 軽くあしらわれる
- 冗談にされる
- 面倒な人扱いされる
これが現実でした。
なぜなら、雑に扱う人は、そもそも真剣に向き合う気がないからです。
こちらが丁寧に説明しても、
はっきり意思表示し境界線を示しても、
相手は聞く耳を持たない。
言い方や態度の問題ではありません。
「向き合う能力がない人」に、言葉は届かないのです。

こういう人は、馬の耳に念仏って感じですよね。
「雑に扱われる人が悪い」という理屈の危うさ
この言説が広まることで、
一番得をするのは誰でしょうか。
それは、雑に扱う側です。
- 相手が悪い
- 自分は悪くない
- 改める必要もない
こうして、加害的な行動が正当化されていきます。
実際には、
丁寧に接しても雑に扱う人は雑ですし、
仕事ができても、立場が上でも、標的にされることはあります。
つまり、
こちらの努力や人格とは無関係に起きているケースが多いのです。
はっきり言うと「傷ついた」「冷たい」と言われる矛盾
雑に扱う人に対して、こちらが冷静に、はっきりと意思表示をすると、
- 「そんな言い方は傷つく」
- 「冷たい人だと思わなかった」
と言われることがあります。
ですが、ここには大きな矛盾があります。
そもそも、相手を雑に扱ってきた言葉や態度の方が、よほどきつい場合が多いのです。
失礼な態度、軽視する発言、配慮のない言い回し。
それらを繰り返してきた側が、
境界線を示された瞬間だけ「傷ついた」と主張する。
これは、感情の問題ではなく、
自分が優位でいられなくなったことへの反応に近いものです。
雑に扱う人は、
相手が黙って耐えている状態を「普通」だと誤認しています。
だからこそ、こちらが対等な立場で言葉を返した途端、
「攻撃された」「冷たくされた」と感じてしまうのです。

雑に扱われたことがある人には、「冷たい」「傷ついた」みたいな言葉を返されるのは、あるあるじゃないでしょうか。
私が選んだ対応策
こういう相手は、実は
- 感情の反応=手応えあり
- 申し訳ない態度=優位性の確認
- ペコペコ謝る=支配できているサイン
として受け取ることが多い。
だから
感情を出さず、淡々と事務的対応
これは冷たいんじゃなくて、
刺激を与えない・餌を与えない対応。
なぜ「感情を出さない」が効くのか
雑に扱う人は、相手の
- 困った顔
- 罪悪感
- 動揺
- 感情の揺れ
こういうものを無意識に見ています。
でも、
事務的・簡潔・感情なし
になると、
- 自分の言動が跳ね返らない
- 反応が返ってこない
- コントロール感が得られない
から急につまらなくなってしまいます。
「冷たい」と言われても問題ない理由
ここ、すごく大事なポイント。
丁寧=感情を差し出すことではないです。
- 用件だけ伝える
- 必要以上に説明しない
- 表情もトーンも一定
これらは、社会的にはむしろ「大人の対応」。
それを「冷たい」と感じるのは、
相手が感情を引き出せなかった不満であって、
こちらの落ち度じゃないです。
「感情を出さない」は逃げでも弱さでもない
むしろこれは
- 境界線を守っている
- 巻き込まれない選択
- 自分のエネルギー管理
しっかりとした対処。
怒らない、謝りすぎない、説明しすぎない。
喜怒哀楽を削ぎ落とした状態って、
一番消耗しないし、後腐れも少ないです。
事務的な対応が良い理由
事務的な対応は、
- 感情を差し出さない
- 評価もしない
- 反論もしない
- 期待もしない
ただ必要な情報だけを淡々と処理する感じです。
これ、冷たいんじゃなくて
私情を混ぜない対応です。
雑に扱う人ほど、
・気まずさ
・罪悪感
・下手に出る態度
・感情の揺れ
こういう「人間味ある態度」に寄ってくるから、
事務的になると一気に距離が取れる。
しかも後で振り返った時に
「言い過ぎた」「謝りすぎた」
って後悔が残りにくいから良いです。
雑に扱われる側が、自分を責めなくていい理由
もしあなたが、
「なぜか人から雑に扱われやすい」と感じているなら、
それはあなたの価値が低いからではありません。
むしろ、
- 人を尊重しようとする
- 空気を読める
- 無用な争いを避けようとする
そうした性質が、
雑な人間関係を前提に生きている人から見て
“扱いやすく”映っているだけの可能性があります。
問題は、あなたではなく、
人を雑に扱える世界観を持っている相手です。
第三者による被害者責任論と、いじめ構造
そもそも、まともな人は人を雑に扱いません。
相手を一人の人間として尊重しているなら、雑な態度をとることはないです。
それにもかかわらず、当事者でもない第三者が
「雑に扱われる側にも問題がある」と語る場面をよく見かけます。
この構図は、いじめの現場で繰り返されてきた
「いじめられる方にも原因がある」という発言と、すごくよく似ています。
しかし、いじめは常に加害者が悪い。
とくに集団で一人を標的にする行為は、
力関係を利用した明確な加害行為であり、正当化される余地はありません。
雑に扱う行為も同じです。
人数の大小にかかわらず、
相手を軽んじ、尊厳を下げる行動を選んでいるのは、扱う側です。
被害者の性格や態度を理由にすることは、
加害性を見えにくくし、問題を温存させるだけです。
おわりに
「雑に扱われる人が悪い」という言葉に違和感を覚える感覚は、
雑に扱われてきたからこそ分かる、とても健全なものだと思います。
無理に強くならなくていい。
無理に戦わなくていい。
自分を雑に扱う人のいる場所から離れ関わりを減らすことです。
それは逃げではなく、
自分を大切にするための、立派な判断です。

