派遣満期後、次に選んだのは“福祉関係”の仕事
派遣の仕事が満期を迎えたあと、私は次の働き先を探していました。
派遣の満期後エステの仕事をしようと仕事を探していたのですが、リーマンショックの影響で業界全体が冷え込んでるし、あまり良い条件の所がありませんでした。
「エステはもう厳しいかもしれないな」と思った私は、なくなることはないし、やったことある仕事に目を向けました。
そうして見つけたのが、福祉施設の調理スタッフの募集。調理の仕事は以前にも経験があり、なんとなく安心感もありました。
穏やかな面接官夫婦。しかし、案内は一切なし
入社前には筆記試験と作文、そして面接がありました。
施設長とその奥さんが面接官で、高齢のご夫婦(70ぐらいと聞いていました)ということもあり、穏やかで優しそうな印象を受けたのを覚えています。
ただ、施設内の案内は一切なし。
それでも「この雰囲気なら大丈夫そう」と思ってしまったのは、今思えば浅はかでした。

どういう環境で調理しているのか現場が少しでも見れたら、異変に気付いたかもしれないなと思います。これは、同期で同時期に退職した人も、「施設内の見学があればこの施設を選ばなかった」と。
入社3日で気づいた“異変”
入社して3日ほど経った頃、私はすぐに違和感を覚えました。
朝礼で、同じ時期に入った事務の女性が一人お休みしていたのです。
「体調でも悪いのかな?」と思っていましたが、次の日も、その次の日も来ない。
結局、1週間経っても姿を見せませんでした。
この時点で、「何かおかしい」と感じ始めました。
穏やかだった施設長の“豹変”
働いていくうちに、だんだんと施設長の本性が見えてきました。
朝礼のたびに響く怒鳴り声。しかも怒る理由があまりにも些細なのです。
「要領が悪い!」「何度同じこと言わせる!」など――そんなことで、いきなりスイッチが入ったようにキレる。
最初の優しそうな印象は、まるで嘘のようでした。

事務所で朝礼が行われるのですが、スタッフ全員無言で集まり、開始を待つという異様な奮起でした。怒鳴るのは、ほぼ毎日です。施設長室は事務所の隣で、事務所にいることが多かく、事務の同期はこの異変にいち早く気付き理由付けて最終的に1週間で辞めたんだなと・・・
衛生管理の常識が“非常識”だった
調理室でも、おかしなことがたくさんありました。
私は以前、別の施設で調理の仕事をしていたことがあり、衛生管理やルールには人一倍気をつけていました。
しかし、ここではそれが“やってはいけない行為”だったのです。
手を洗った後にアルコール消毒をしたら、注意されました。
調理台の消毒も同じ。理由を聞くと、「アルコールは保健所の監査用だから、減らしたら怒られる」とのこと。
つまり、置いてあるだけで“見せかけ”だったのです。
掃除も、毎日しないのです。(以前勤めた施設では、毎日掃除して、排水溝のゴミ取りまでがセットでした)必然的に排水溝は汚れがたまりやすく、虫が湧きやすい状況です。その中での監査で、チョウバエがそこそこいました。何とか基準値以内ではありましたが、指摘を受けました。それに対して施設長に怒られましたが、洗剤、次亜塩素酸ナトリウムの使用量に制限があり掃除を毎日しないのに、怒るとかあり得なかったです。
「もったいない」で片づけられる食の安全
さらに驚いたのは、余った料理の扱いでした。
どんなに時間が経っていても、「捨てると怒られる」と言って、調理師たちの食事に回していたのです。
中には、数日経っており匂いが変わっているものまでありました。
一応、臭いを嗅いで「このくらいなら多分大丈夫だから食べる」と言われるのですが、そんな判断が許されるわけがありません。
衛生基準では、学校給食や福祉施設の食事は“調理から2時間以内に提供する”ことが義務づけられています。
それを知っていた私は、怖くて手をつけられませんでした。
誰もおかしいと言わない現場の空気
それでも、周りの職員は誰もおかしいと言わないし、思っていても言えないのです。(正直、意見を言える環境ではなかったです)
長く働いている人ほど「この施設ではこうなの」と、諦めたように笑っていました。
私は心の中で、「ここで長く働くのは無理かもしれない」と、うっすら思い始めていました。体験が、今同じように悩んでいる誰かの背中を押すきっかけになればと思います。
そして次回へ
このあと、さらに“信じられない”出来事が続くのですが、それはまた次回に書こうと思います。
あの頃の私は、とにかく「早く逃げないと壊れる」と本能的に感じていました。
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