最初の転職のきっかけは、家族からのアドバイスでした。
当時、母と姉は新しくできたエステサロンに通っていて、そこのエステティシャンの方が「サロン勤めから独立して自分のサロンを経営している」と話していました。
その話を聞いた母と姉は感化されたのか、
「大変だけど、やりがいのある仕事だと思うよ。手に職をつけるからよいんじゃない?」
と私に勧めてくれたのです。
求人誌で見つけた“新しい世界”
当時は、まだ紙媒体の求人誌が主流の時代。
「とらばーゆ」という女性向けの求人誌を見ながら、
どんな仕事があるのかを眺めていました。
その中で、母たちが通っていたエステティシャンの方が以前勤めていたという大手エステ会社の求人を見つけ、思い切って応募。
面接会場は、都市部のデパート内の店舗。そこのカウンセリングルームでした。
田舎者の私は、デパートへ行くことすら年に1回あるかないかです。
店舗前に到着したときには「場違いなところに来てしまった」と思ったのを覚えています。
豪華すぎる店内と、フロントに立っているスタッフが綺麗な人達ばっかりだったので、「受からないな」っと思い、次の応募先探しはじめたくらいに、合格通知をもらった時は本当に嬉しかったのを覚えています。
憧れから現実へ ― 想像以上に厳しい世界
エステの仕事に就く前は、
「いつか自分も独立できたらいいな」
という淡い夢を持っていました。
希望はボディエステでしたが、配属されたのはフェイシャル担当。
入社して3ヶ月は研修施設で、毎日フェイシャルマッサージの手順や肌の仕組みや美容知識、接客を学べることが大変だったけど楽しかったです。しかし、配属店舗が決まり、実際に店舗勤務になって次第に現実の厳しさを痛感することになります。
- サービス残業は当たり前
- 公休日は「勉強会」に充てられる
- 部長・エリアマネージャーが来る日は公休日でも出勤
休みらしい休みはほとんどなく、常に緊張感のある日々が続いていました。
心も体も限界に
そんな生活が続いた結果、体が悲鳴を上げました。
生理が止まったまま来ることなく、眠れなくなり、ストレス食いで12kg増。
店長からはもう少し痩せるように注意されるも、痩せれず…
自分が美容の仕事をしているのに、心も体もボロボロになっていく感覚がありました。
結局、心身の限界を感じて退職。
しばらくは「もうエステは無理かもしれない」と思っていました。

生理は、勤めだして1か月ぐらいで来なくなっていました。病院にも行きましたが、最初に行ったところでは、もうそろそろ来るはずと言われたのですが、来ず、別の病院にも行きましたが来ることはなかったです。処方された漢方を飲んでいました。
※これについては、また別で詳細書きたいと思います。
それでも諦めきれなかった
体調を整えることを最優先にしつつも、
どうしてもエステの仕事を諦めきれませんでした。
そんな中、目に留まったのがフェイシャルも行っている光脱毛サロンの求人。
当時は光脱毛ブームが始まった頃で、「体の負担も少ない」「定休日が固定」「残業なし」という条件が魅力的でした。
「これなら続けられるかもしれない」
そう思い、再び美容業界に戻ることを決意しました。
2度目の挑戦も、再び壁にぶつかる
実際に働き始めると、たしかに勤務条件は良かったです。残業もサービス残業もなかったです。
ただ、職場の人間関係には悩まされました。
特に、1人のチーフからの嫌がらせがひどく、ついに精神的に限界を感じて退職。
この時も、生理は完全に戻らず、不眠も続いたまま。
体を壊してしまった自分に、情けなさを感じました。
次の道を探す ― “癒す側”になるための学びへ
「まだ諦めたくない」
そう思いながら転職活動するも、フェイシャル経験だけでは転職が難しい現実と面接でブラックな会社が多い事も知りました。
そこで私は、派遣で事務の仕事をしながら、オイルマッサージの勉強を始めることにしました。
次回、第3話では、
この「学び直しの時期」と「新しい出会い」についてお話します。

