パワハラ受けた職場を退職したのが誕生日の数日前でした。
人生の節目でもあり、やりたい仕事やろうと思いリラクゼーションサロンで働こうと決めました。
当時は、エステの資格は取ったけど、まだオイルマッサージの実務経験はありませんでした。
求人を見ても、女性専用サロンは、正社員という名のアルバイトと変わらない月給で、時給が800円前後とかなり低め。
その金額では貯蓄を切り崩す生活になると思い、時給の高い「男女利用可能なリラクゼーションサロン」を選びました。(当時の地方のリラクゼーションで時給1,000円は高かったです。)
ちょうどそのお店がオープニングスタッフを募集しており、スタートがみんな同じで、無料研修もあると書かれていたので、「ここなら一から学べそう」と思い、勤務をスタート。
研修は、提携先のサロンでした。最初は、圧がかけれず、毎日8時間の研修で指や手首痛くなってきました。
その時、研修先の教えてくれる方に、手が痛くならない方法など聞きいて、上手に施術できるよう必死でした。
けれど、オープンして2か月ほどして経営が行き詰まってしまいました。
メンズエステとの出会い
勤めたサロンが閉店するかもと言う事を、研修先のサロンで親しくなった人に「次どうしよう。見付けないと」という話をしたことがきっかけで、繋ぎで、メンズエステの講師の短期のバイトとメンズエステを紹介してもらったことが次の転機になりました。
最初は戸惑いもありましたが、「とりあえず繋ぎで働こう」と思い、働き始めました。
メンズエステで働きながら、別のリラクゼーションサロンも探し始めました。
探していて気付いたのは、メンズエステ以外でオイルマッサージだけの求人が少ない実感しました。
まずは、もみほぐしを覚えたいと言う気持ちから始まりましたが、気づけば本当にいろいろなサロンを経験しました。
低価格が売りの「もみほぐしサロン」、フェイシャルがある「エステ系サロン」、「タイ古式マッサージ」、「出張マッサージ」、日本人・中国人・韓国人、タイ人経営者のサロン……。その間、単発の軽作業の派遣の仕事をしたりと、完全独立までとにかく色々なところで働きました。
どの職場も雰囲気もやり方も違っていて、戸惑うこともありましたが、それぞれに学びがありました。

今は、基本給がどの県も高くなっていますが、当時は地方の都市部でしたが、時給は安かったです。時給1,000円のアルバイトは高時給な部類でした。
独立への挑戦と挫折、そして小さな再スタート
リラクゼーションセラピストとして働き始めて5年ほど経った頃、
「そろそろ自分のお店を持ちたい」と思うようになり、
2度ほど独立を試みました。
ですが、どちらも上手くいかず失敗に終わってしまいました。
それでもどうしても諦めきれず、サロン勤めをしながら3度目の挑戦で自宅サロンを細々と続けていました。

3ヶ月ほぼ毎日12時~深夜3時、遅いと朝5時まで仕事して、仮眠してから出勤という状況が続いて、体壊したのを機に独立という思いに至ったのですが、オープン早々に、怖い思いをしてすぐ辞めました。
出張マッサージを始めたきっかけ
最後に勤めていたサロンで、
「フェイシャルも覚えてみない?」と声をかけてもらったのですが、費用がかかることを言われ、もうこれ以上の投資はしたくないという気持ちが強く、丁寧にお断りして退職しました。
その頃、掛け持ちしていたメンズエステのオーナーとも連絡が取れなくなり、収入源がなくなってしまいました。
そこで、一度出張マッサージで独立試みて失敗していたのと、また怖い思いをするのではという不安もありましたが、やるしかない状況でもあったので「ダメ元でやってみよう」と思い立ち、再度出張マッサージを始めることに。
ちょうどコロナが騒がれ始める少し前の2019年11月上旬、ポータルサイトに掲載して本格的にスタートしました。
それが、現在まで続く私の活動の原点です。
まとめ
こうして振り返ってみると、本当にいろんな経験をしてきたなと思います。
どの職場でもいろんな人がいて、楽しいことも、しんどいこともたくさんありました。
でも、あの頃の一つひとつが、今の私の土台になっている気がします。
今後このブログでは、サロン勤めの中で印象に残った出来事や、出張マッサージを始めて感じたことなどを、少しずつ書いていこうと思います。
当時の空気感や気持ちを思い出しながら、“セラピストとしてのリアルな日常”をお届けできたら嬉しいです。
ちょっと余談:いろんなサロンで働いた経験
いろいろな経営者の下で働いてきましたが、同じ「リラクゼーション業界」でも、国や人によって本当に考え方が違うなと感じます。
マッサージの手技や接客スタイルだけでなく、経営者の考え方もそれぞれ。
今振り返ると、その経験が今の自分のやり方のベースになっています。

