――「離れたいのに寄ってくる人」に共通する心理構造
私がリラクぜしょんサロンに勤務していた頃の話です。
お店が暇で、部屋で一人待機していると何故か話しかけてくるオーナーがいました。私は一人で居たいのに…ほかにもスタッフいるのになぜか近寄って来るのです。その時の出来事を私なりに考察してみました。
よくある違和感 ― なぜか一人にさせてくれない人
職場や身近な人間関係の中で、こんな違和感を覚えたことはないでしょうか。
- 暇になると、こちらの都合をあまり考えず話しかけてくる
- 一人で過ごしたい雰囲気を出しても、距離を詰めてくる
- 会話の多くが、昔の武勇伝や成功体験の話になる
特別に嫌なことをされたわけではない。
むしろ親切そうで、社交的で、悪い人には見えない。
それなのに、一緒にいると疲れる。
エネルギーを消耗する。
「離れたい」と感じてしまう。
この違和感の正体は、相性や性格の問題ではなく、
相手の内側で起きている心理構造にあることが多いのです。

最初の印象は悪くないんですよね。慣れない環境で、親しく話されれば少し和むんですけどね…
過去の栄光という麻薬
かつて大きな成功を経験した人は、その時代に強烈な報酬を得ています。
- 沢山お金が動いていた
- 人が集まり、頼られ、持ち上げられていた
- 何もしなくても、向こうからから人が寄ってきた
そこにあったのは、収入以上に
承認・影響力・必要とされる感覚です。
この感覚は非常に快感が強く、
人によっては「麻薬」のように記憶に残ります。
だからこそ、その環境が一気に失われたとき、
表からは見えない大きな空白が生まれます。
失ったのはお金だけじゃない
成功が終わったあとに失われるのは、お金だけではありません。
- 社会的な立場
- 周囲からの扱われ方
- 家庭内での役割
- 「あの人はすごい人だ」という評価
そして何より、
「自分は何者なのか」というアイデンティティです。
成功していた頃は、説明しなくても価値を認めてもらえた。
今は、それがない。
その空白を埋めるために、人は無意識に過去を語ります。
昔はこうだった。
あの頃はすごかった。
これは自慢というより、
自分自身に向けた確認作業でもあるのです。

武勇伝を語る人いますよね(汗)
人が寄ってこなくなった後に現れる「自覚なき寂しさ」
ここで重要なのが、「寂しさ」の存在です。
ただしこの寂しさは、
本人がはっきり自覚しているものとは限りません。
- 人が寄ってこなくなった現実を認めたくない
- 「寂しい」と言えるほど弱くなりたくない
- 過去の自分との落差を直視できない
その結果、
寂しさは 焦りや落ち着かなさを代弁するかのように表に出ます。
沈黙が怖い、
一人の時間が耐えられない。
だから、誰かのそばに行く。
「人が寄ってきている」ように見せるための行動
ここで起きているのは、少し歪んだ逆転現象です。
本来は
「人が自然に寄ってくる」
↓
「自分には価値があると感じられる」
だったものが、
今は
「自分から話しかける」
↓
「会話が成立している」
↓
「人がいる状態を維持できている」
という構造に変わっています。
つまり、
人が寄ってきているように見えて、実際には自分で演出している状態。
この状態では、相手の都合や境界線よりも、
「人がいる感じを保てるかどうか」が優先されてしまいます。
なぜ「媚びない人」にグイグイ来るのか
特に狙われやすいのが、次のような人です。
- 必要以上に愛想を振りまかない
- 持ち上げない
- 依存しない
こうした人は、相手からすると
承認がまだ回収できていない存在になります。
媚びる人には、すでに安心がある。
でも媚びない人には、不安が残る。
「まだ認められていない」
「もう少し近づけば大丈夫なはず」
そうして、不安を解消するために距離を詰める行動が強くなる。
これは好意ではなく、自己安定のための行動です。
受け取る側が感じる違和感
一方で、受け取る側が感じるのは、
- 重さ
- エネルギーを吸われる感覚
- 一人の時間を侵食されている不快感
これは冷たいからでも、性格が悪いからでもありません。
境界線が侵されているサインです。
相手の寂しさや過去を背負う義務はありません。
結論 ― これは優しさではなく、未消化の孤独
離れたいのに寄ってくる行動は、
優しさや親しみではなく、
処理しきれていない孤独の表れであることが多いのです。
大切なのは、
- 同情と関わる義務は別
- 理解と我慢は別
- 距離を取りたくなる感覚は健全
ということ。
誰かの過去を救うために、
自分の現在を差し出す必要はありません。
あなたが感じた違和感は、
ちゃんとした感覚です。

